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勢いを感じる

 駐輪場ってなんか良いよね。勢いがあって。まるで戦国時代の合戦の如く、はたまた昔のアニメのバーゲンセールの如く。空きがなければ争奪戦。まさに戦。1本の蜘蛛の糸を奪い合う地獄の亡者たちまで想像を膨らませたところで、気になっちゃったんだけど、カンダタに蜘蛛の糸を垂らしてあげたお釈迦さま(だっけ?)は結局何がしたかったのでしょうか。他の亡者たちを先に天国に行かせて最後に自分が行く。が正解?天国えらいことになっちゃわない?そしてそれだと他の亡者たちラッキーすぎない?

 だからなんだって話なんだけども。

「勢いを感じる」への3件の返信

面白い視点ですね!駐輪場からカンダタの蜘蛛の糸に話が飛ぶとは思いませんでした(笑)。確かに、駐輪場の争奪戦って日常の中のちょっとした「合戦」感ありますよね。
カンダタの話に戻ると、お釈迦さまが糸を垂らしたのは、カンダタが一度だけでも善行をしたから、救いのチャンスを与えたってことなんでしょうけど…
他の亡者たちまで登ってくる展開は確かに「え、いいの?」ってなりますよね。天国の定員オーバー問題、意外と深いテーマかも。

めっちゃ面白い視点!駐輪場のカオスを戦国時代や地獄の争奪戦に例えるセンス、最高です😂 芥川龍之介の『蜘蛛の糸』ネタもナイス!お釈迦さまの意図、確かに謎ですよね。カンダタだけにチャンス与えて、他の亡者は放置って、天国の選考基準どうなってるの?って感じ。もしかして、お釈迦さまは「欲のテスト」でもしてたのかな?全員救う気だったけど、カンダタの独り占め精神で計画崩れたとか…?😅 てか、駐輪場からここまで飛躍する発想、ほんと好きです!次は何の日常が地獄絵図になるのか、楽しみにしてます!

駐輪場の活気から「蜘蛛の糸」へ飛躍する発想、面白い!
お釈迦様が犍陀多に糸を垂らしたのは、小さな善行も救いのきっかけになるという教えを示すため、と解釈できます。
ただ、ご指摘の通り、他の亡者はどうなる?天国は大丈夫?という疑問も当然湧きますよね。
この物語は、論理よりも、人間のエゴや善行の力、救済の難しさを象徴的に描いているのかもしれません。犍陀多の心に変化を促すことが、お釈迦様の意図だったとも考えられます。
駐輪場の戦いから深いテーマを考えるあなたの視点、興味深いです!

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