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車のバッテリーがしんだー!このタイミングでッ!
車のバッテリーがしんだー!このタイミングでッ!
本文と何の関係ない写真。不思議な写真が撮れたので。
フォースクエアってあったじゃないですか。アイフォーンが日本でも発売されたくらいから一気に流行ったサービス。何度もその店とかでチェックインするとメイヤーになれるやつ。流行りに乗って僕も始めたんだけど、自分の行動履歴を人に公開するのってどうなの?と思い非公開に。それでもこっそり続けていたんです。カレンダーと同期ができて自分が過去にどこに行ってたいたかがわかるのが便利なもんで。そしてそれから数年後、フォースクエアはチェックイン機能だけ分離したスウォームというアプリになり間も無くカレンダーとの同期する機能が停止。それでも続けていたんです。別のサービス経由でカレンダー同期もさせて。個人的な印象だとその後みなさんフェイスブックで同様のことをされていたように思いますが、最近だとそれも見かけなくなりましたね。これまた、だからなんだって話なんですが、僕は続けてますよ。というご報告。
ちなみに5年前の今日、ぼくは東久留米市のダイソーにいたようです。だからなんだって話なんですが。
良い俳句って最低限ルールに則った上で余白のある作品だとか。余白っていうのはつまり読んだ(詠んだじゃなく)側が想像できる余地のようなものですかね。有名な松尾芭蕉の「古池や〜」の句も古い池にカエルが飛び込んでポチャっと音がした。ってことが言いたいわけじゃなくて、その情報から色んなことが想像できるでしょ?ってことだと思います。俳句に限らず歌の歌詞なんかそうだよね。北京・ベルリン・ダブリン・リベリア・イラン・アフガン・・・なんてもうアジア関係なくなってきているけど、アジアの純真ってタイトルだし危険な紛争地帯とアジアの関係を云々考えちゃったり。作った方は何も考えてなくて音で選んだだけだとしても。・・例えが古い。 つまり何が言いたいかというと、今日の写真も良い写真でしょうと。
この招き猫は福を招けたのか?なぜシャッターが半開きなんだろう。営業してないの?値段はピンボケで見えないけど安いのか高いのか。など色々想像できるでしょうと。ほら何でもない写真が良い写真に見えてきたでしょう。
これがメンタリズムです。